地元で暮らしたい、働きたいと思った。
私の出身小学校は、町田第四小学校。生粋の「町田っ子」です。大学病院で働いていた頃は、まさか自分が地元に戻って医師をやるとは思ってもいませんでした。当院へ着任したきっかけも、都心部で暮らし、働く生活が長くなり、改めて自身の地元への郷愁の想いが強まっていたことも要因になったと思います。
患者様から求められる医療を提供する。
病院経営という仕事に馴染めた理由は、二つあると思っています。一つは、父も祖父も地方公務員という家庭環境に育ったおかげで、行政で働く人たちを身近に感じられ、行政と連携した地域医療の最適化を自然と考えることができたこと。そしてもう一つは、大学病院勤務時代の教授から教わった「自分がやりたい医療をやることだけが医師の仕事ではない」という教えを、私も「その通り」と感じていること。民間の病院では患者様たちから求められる医療を優先的に提供すべきであり、自分たちのエゴを通して病院がなくなるようなことがあったら、患者様が医療を受けられない環境をつくってしまうことになる。そうならないように病院経営に臨む姿勢は、病院長就任以来貫いています。
目指すは地域の方々の健康管理を任される病院。
当院が目指すべき姿としてイメージしているのは、地域で暮らす方々の健康管理全般をお任せいただけている状態です。そのためには、当院だけの利益を考えることなく、行政との連携であったり、地域のクリニックと大学病院などの高度医療を行う医療機関との間に立って二次医療機関としての役割を果たすことであったり、といった取り組みを継続的に行うことが不可欠と考えます。これを実現していくには、そんな私たちのスタンスを理解いただき、一緒に同じ方向へ向かって前に進んでくれるスタッフの存在が欠かせません。
地域に必要とされ続ける病院を追求する。
幸いなことに、当院で働いてくれている医師や看護師、事務方のスタッフはみんな、私の考える「当院の目指すべき姿」に理解を示してくれる人ばかりです。そんな人たちに囲まれて働けていることに、私は心から感謝しています。ありがたいことに、私が病院長に就任してから、対応する患者さんの数は増え続けています。看護師の中には冗談交じりに「暇だと思って入職したのに、忙しくて辞められない」と文句を言いながら、10年以上働いてくれている人もいます。病院長に就任したのは私が36歳の頃で、当時はスタッフのほとんどが私よりも年上でした。そんな私を支えてくれる人たちに報いるためにも、私は地域の方々から必要とされ続ける病院を追求していきたいと思っています。